[どこか遠くへゆきたい。]
(相模、安房、上総、下総、武蔵の国から伊予、豊後、肥後の国へ)
外房 勝浦八幡浜公園
相模、安房、上総、下総、武蔵の国 探訪写真集
1.平成24年3月20日から3月31日まで
(相模、安房、上総、下総、武蔵の国)
平成24年3月20日、福山拙宅より、JRでバイクを搬送。神奈川県藤沢別宅午後6時着。23日(金)、24日(土)は雨模様の予報。翌21日より房総半島一週のロングライドに出発したいところであるが、途中雨に遭う。よって、急遽、昨年富士山一週の折、疲労のため断念した御殿場から乙女峠越え、箱根仙石原、小田原、藤沢ルートを逆トレースすることにした。
3月21日、藤沢午後1時出発。湘南サイクリングロード、国道134号線を通って、大磯と小田原の中間当たりにある徳富蘇峰記念館に立ち寄る。同翁記念館は富士山麓鳴沢村に三島由紀夫記念館と共にある。ここは昨年10月糸魚川から甲府まで(千国街道)を走ったとき立ち寄った。肥後の国出身故、熊本にもある。各地の文学館を訪問することも愉悦の一つである。湘南サイクリングロード、国道134号線は格好いい、ロードバイクが頻繁に行き交う。休憩中のツーリストと何度か歓談。小田原到着午後5時。コンビニで食材を調達し、海岸で食事。海岸にテントを張ろうとしたが、強風と波浪で眺望はよいが、飛ばされそう。仕方なく、小田原城城址公園の片隅でテント泊。セコムが入っていることを見落とした。(警備会社のマークや監視カメラ等)案の定、午後11時頃起こされた。ここで怯んではならない。早朝暗いうちに立ち去るということで黙認してもらった。
3月22日、箱根越え(箱根裏街道138号線)をし、さらに乙女峠を越して御殿場へ。今回の目的は御殿場温泉会館で入浴することである。浴場正面に富士山が端正な姿でドーンと見え、此を愛でながら地元の入浴客と歓談。渓流つり(富士山麓で、山女魚が釣れるという)とか、富士山の蘊蓄をたっぷり聞かさせてもらった。帰路はJR御殿場線沿いの裾野バイパスを通って松田から国府津(JR御殿場線の起点)へ抜ける。湘南海岸は年中サーフィンをやっており、此を愛で得ながら藤沢拙宅へ帰着。
3月23日、終日雨。午前中インターネットで房総半島周遊の情報収集。午後より温泉ランド湯乃市へ。
3月24日雨の予報が、次第に回復。藤沢拙宅出発。横須賀久里浜より、12時20分発東京湾フェリーに乗船、内房総の金谷港へ。完全に天候が回復しておらず、眺望を楽しみにしていた東京湾岸は皆目、霧の中。波は荒く船はしきりに揺れる。40分の乗船時間が1時間かかった。
内房を走行し鵜原の県立海の博物館に立ち寄る。内房、外房、九十九里浜の正確な範囲を知りたく、受付嬢に質問しても要領を得ない。学芸員に出頭願い、解説を受ける。
通常、内房:富津崎から州崎まで。外房:州崎から太東崎まで。九十九里浜太東崎から銚子まで、とのこと。他東京湾の範囲、川もないのに九十九里浜の大砂浜のできるメカニズム等、知的好奇心を大いに満足させて頂いた。
午後5時、房総半島最南端野島崎灯台直下公園にテント泊。途中、本日の走行55q 外房故、波浪が凄まじい。テントの開口を日の入り方向に向け、ビールタイム。やがて月と、明るい星二つ。沖には、ポツンと外向航路の舟明かりが散見する。
3月25日、テント撤収の折、テントが一面に白っぽく、粉が付着していることに気づいた。何と波浪が飛散し、塩がビッシリ付着しているのである。自転車も同様。本日、 68.2q走行し、勝浦八幡浜公園東屋にテント泊。
3月26日、前日食材を買い込みすぎ、多食したので、胃の調子がよくない。結果、近辺は魚介類の豊富な食堂、レストランがあり、楽しみにしていたのであるが、やむなく通過。
走行中は胃が揺さぶられるため、多食は厳禁である。パワーバーとかパワージェルは常備しているのであるが、それのみは食えない。
正午太東灯台着。ボランティアのガイド曰わく、米軍東京空襲時、大挙して飛来しこの上空で待機、対して、日本軍は僅か数機飛び立ったのであるが、戦闘することなく引き返した由。付近に機関砲の台座後が散見される。今は、茫々たる荒海の彼方、外向航路の大船が散見されるのみ。長閑である。
九十九里浜を北上し、途中、高村光太郎、智恵子抄の石碑入り口を偶然見つけた。此は必見だ。千鳥と遊ぶ智恵子の全文の石碑であった。レモン哀歌とともに昔、愛唱した大好きな詩の一つである。声を揚げて何度も朗唱し、感極まる。
「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――」
犬吠埼しおさい公園午後7時着。暗くなるとSONY naviが大活躍。人も皆目見あたらず、このガイドなしでは夜間は走行不能であったであろう。衝突防止のため、リアー赤色フラッシュ3灯、フロント3灯照らしてぶっ飛ばした。走行115.63q 6.4時間
3月27日、夜間公園レストルームは閉鎖されるが、朝5時前に近隣ボランティア(ガードマンかもしれない)によって解錠された。「寒いでしょう中にお入りなさい。どこから来たの云々」ありがたいことにコンセントまである。携帯、予備バッテリー充電。
銚子港は、鰯を満載したトラックが頻繁に行き交う。そのトラックから1000円でバケツいっぱいの鰯とおまけの40cmはある鰺、鯖他を購入している姿を目にした。豪快なものだ。
利根川を遡上し、午後2時、道の駅水の郷さわらに到着、本日は少し早いがここに泊まることにする。伊能忠敬旧居、同記念館他市内散策。暗くなるのを待って眺望のよい河川敷にテントを設置。寛いでいるところ又もやガードマンに咎められる。「この界隈はキャンプ禁止であるから撤去ください。」「じゃあ、上のベンチで寝ても良いの。車中泊の人はいっぱい居るが。」「何ともいえない。」「じゃあそうするよ。」テントを撤収していると、件のガードマンが又やってきて、「推奨はできないのだが、トイレの隣に、自動販売機を置いたレストルームがある。暖房が効いているが、常時明るく、且つ、監視カメラが動作している。」前日は氷点下に下がったとのこと。暗黙の了解を得たと解釈し、同レストルームで休むことにした。件のベンチではお仲間が食事せんと支度をしていた。利根川遙か上流利根郡みなかみ町でラフティングのインストラクターをしている、仙台実家に帰宅途上であるという。じゃあ一杯やろうということにして、銚子で買って置いた鰯の酢付けを振る舞う。気分の良い若者で、大半を平らげてしまった。「付近を通った時はガイドを頼むよ。」云々。彼は厳冬用のシュラフを持参していた。此ならば寒くないであろう。翌朝は霜が降りていた。走行40q
3月28日、佐原6時出発。いつか、エアーでバイクを搬送することもあろうかと思い、正午頃成田空港を検分。駐輪場があり、バイクもたくさん止まっている。昨年、新宿から甲州街道(国道20号線)を調布まで走り、多摩川サイクリングロードを下り、羽田空港まで走ったことがあるが、羽田はバイクの進入を考慮していないようで進入は危険で、駐輪場はなく、適当に駐輪していたら、ガードマンがすっ飛んできて、立ち去るように注意する。バイクをエアーに搭載する下見にきた旨告げ、暫し黙認してもらったことであるが、成田は大らかだ。
東京江戸川区平井に義弟が住まいしているので、午後3時30分、そこに荷物を預け、若洲海浜公園キャンプ場(年中利用できる)下見と合わせ、今年2月に開通した東京ゲートブリッジを検分。途中まで歩行できるのであるが、午後5時で終了、間に合わなかった。(夏場週末は午後8時まで)。出直そう。
3月29日、 義弟宅を午前10時30分出発、両国の江戸東京博物館にて開催されている特別展ザ・タワーを観覧。存外、観覧に時間が掛かり、レインボウブリッジを通って(バイクも押してならば通行できる。)、藤沢まで帰る予定であったが、午後4時、(5時までに東京駅を通過していないと猛烈なラッシュで悲惨な目に遭う)、急ぎ、両国駅でバイクを解体し、JRで藤沢へ午後5時30分帰着。
三浦半島城ヶ島より、伊豆半島、房総半島、大島が望める。内伊豆半島下田まではコースを変え、2度探訪した。何時か、大島他伊豆諸島、小笠原諸島(父島、母島)まで探訪したいと考える。
平成22年9月関東圏へ
安房崎灯台 房総半島をのぞむ
どこか遠くへゆきたい。本年9月6日神奈川県藤沢より鎌倉→逗子→葉山→三浦半島城ヶ島を経て横須賀まで輪行した。城ヶ島から遠望すると正面斜め向かいに伊豆大島、東方に房総半島、西方に相模湾を介して伊豆半島が遙かに望める。あそこへ行きたい次々に計画が脳裏に浮かぶ。JR横須賀駅で輪行袋に自転車を収納しJRで藤沢に帰る。本日走行距離70.3km
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9月4-5日(新宿→湘南サイクリングロード)
翌9月7日藤沢より小田原を経由して熱海まで輪行した。20年前に購入したブリジストンの6段変速の折り畳み自転車故、重いし、坂がきつい。湯河原より熱海に至る坂道を辛うじて越して力尽きた。熱海駅前温泉で入浴。昭和30年代にタイムスリップしたようなレトロな銭湯。脱衣場に子供の頃よく見たブリキの広告看板が並べて架けてある。午後2時営業開始直後で入浴客は疎ら。入浴客としばし歓談。壁もタイルも温泉成分でくすんで見え、熱海を訪れる普通の観光客は決して訪れることはないであろうが、こういう所を好んで探訪する銭湯マニアもいる。一人旅では貴重な地元情報収集源である。
熱海駅で自転車を収納しJRで午後6時過ぎ藤沢に帰る。下田行きは他日を期すことにした。本日走行距離65.7km
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翌9月8日鎌倉へ。藤沢より藤沢鎌倉線(国道32号線)を通行し、約30分で大仏坂切り通を越える。長谷観音前まで一挙に下り、由比ヶ浜大通りに曲がったすぐ近くにある馴染みの名物コロッケを食しに宮代商店へ。揚がるまで暫し待つことになるが、これが旨い。ビールにとても合う。湘南の神様サザン桑田佳祐も贔屓筋らしい。鎌倉文学館と些か離れているが円覚寺訪問がお決まりのコース。鎌倉は夜行高速バスに乗る時間調整のため頻繁に訪問する。本日走行距離28.5km
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藤沢は息子の居所で、私は暫しの居候である。件(くだん)の折り畳み自転車(BRIDGESTONE号)を置いている。後継モデルはトランジット称し、26インチのみ販売しており、重量12.6Kg。私のBRIDGESTONE号は27インチで13kg強ある。輪行には重い。その日に横浜より夜行高速バスで福山に帰る。
平成22年11月関東甲信越へ
件(くだん)の折り畳み自転車では遠出が難しい。本年5月に購入したTREKのクロスバイク(TREK号)を輪行袋に収納し、11月18日福山より高速夜行バスで東京駅へ向かう。当初前後輪を外し、フレームに結束して輪行袋に収納するまで1時間以上費やしていたが、何度も分解、組み立てを繰り返し約20分まで短縮できるようになった。20分は許容の範囲である。これが1時間も懸かるようであれば輪行も儘ならぬ。最速、小容量を期すれば今流行の小径フォールディングバイクであろう。最長でも7分もあれば輪行袋に収納できるようである。
私も購入を鋭意考慮したが、20分内外で分解収納、またその逆も出来るよう習熟したので購入はしない事とした。
鉄道であれば、輪行袋に収納してあれば、何処の私鉄でも断られることはまずない。高速バスは輪行袋に収納してあっても原則拒絶されるようである。公式に許容している例外がキラキラバス、オリオンバスである。私は関東圏への移動はキラキラバスを常用する。因みに中国バスはしまなみ海道経由を除き原則不可のようである。曰く高速バス会社が自転車は搭載しないよう協定しているとのこと。が、其処は交渉次第である。京都行き高速バスには上司に掛け合ってもらい搭載してもらった。以下チュウバスも搭載を断られたことはない。
11月19日(金)am8:30東京駅近くのバス停に到着。@今回輪行計画は東海道五三次を繋ぐこと。A(漸次完走)途中バイパスし、三島より下田街道を南下し、天城越えをして、伊豆半島南端石廊崎を経由し、西伊豆・松崎を探訪すること。松崎は伊豆長八の漆喰美術館がある。かような大まかな計画を立てた。
先ずは、日本橋よりスタート。午前中は皇居周辺の東京建築散歩。三井本館:外観に荘重なコリント式オーダーを配したアメリカンスタイルの銀行建築。三井住友銀行が中に入居しており、レトロな行内も探訪→日本銀行本店;設計は明治の建築界を代表する辰野金吾の初期の代表作。福山美術館でも辰野建築の特集をやっていたことがある。→日本工業倶楽部会館→東京銀行協会→東京海上日動ビル:三菱グループの代表的な企業の一つ旧東京海上火災と、三井グループの三井不動産が霞ヶ関ビルの建築を巡り建築競争を展開したという。東京海上ビル計画が「皇居の中が見える。不敬だ!」との美観論争に巻き込まれ着工出来ずにいる間に、霞ヶ関ビルは順調に着工、昭和43年日本一高い超高層ビルが完成した。一方東海ビルが完成したのはその6年後。高さを100m以下に抑え完成したという。皮肉にも、現在東海ビルの周辺には超高層ビルが建ち並んでいる。→日比谷公会堂・市政会館→件(くだん)の霞ヶ関ビル→首相官邸:警備が物々しい。→国会議事堂:衆議院会館、参議院会館は参観できるが、時間がないので省略。→法務省旧本館:19世紀のドイツネオバロック様式建物。一部公開しているので内部を参観。
第二京浜(国道1号線)を西進。品川駅近辺で 第一京浜(国道15号線)に移動し走行。旧東海道はその街道が全く分からない。品川宿→川崎宿→神奈川宿(横浜)と第二京浜を西進。横浜関内から鎌倉街道(国道21号線)に移動する予定だがすでに午後4時半を過ぎ薄暗くなりつつある。鎌倉街道入り口を道路地図で確認しただけでは判らない。通行人に尋ね鎌倉街道に入る。暗くなると車からの視認性が著しく低下するので、自転車フロントには点滅灯と強力LERランプを、バックには点滅灯を2灯固定し走行する。保土ヶ谷宿、以上武蔵の国を通過。→以下相模の国、戸塚宿→大船を経由して本日の宿泊所藤沢宿に午後8時過ぎ到着。本日走行距離59.9km
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伊豆修善寺へ
11月20日(土) 天候は刻々と変わる。前日までの予報では神奈川県は21,22日が曇りのち晴れ、22日(月)雨となっていた。よって1泊2日でアクセスの良い、丹沢山山系の縦走を計画変更していたが、20日早朝天気予報チェックしたところ22日(月)曇りと変わった。1人旅の気楽さで、箱根越え経由下田行き輪行に変更。
藤沢→小田原間は9月7日すでに走行しているので、小田原まではJRで移動。午前10時30分小田原着。小田原はサイクリストが多い。数組のグループが自転車を組み立てている。暫し、情報交換した後、午前11時小田原を出発。
国道1号線を西進し、箱根湯本手前、三枚橋を渡り、箱根旧道(国道732号線)を進む。1号線は土曜故、大渋滞であったが、箱根旧道はガラガラに空いている。風情の残る湯本温泉郷、畑宿を過ぎ、箱根七曲手前500mで力尽き自転車を押す。元気の良いロードバイクはスイスイと追い抜いて行く。還暦過ぎの爺故、急ぎ旅でのないし、まあ良いか。時速5Km押しても30分もあれば七曲は抜ける。小鳥の囀り、落ち葉のハラハラと落ちる音、1号線の喧騒とは裏腹に静かだ。歩行者が多い。11時30分甘酒茶屋到着。観光客が多い。
名物の団子を楽しみにしていたのであるが、行列をなしている故、周辺を探訪して元箱根へ。正午到着。
箱根越えを完走出来なかったのは残念であるが、先ずは目的の1つを達成。
元箱根でとろろそばを食し、暫し休息。1号線をさらに登坂して箱根峠を越え、三島方面に一気に下る。制限速度は40Kmとあるが、40Kmは簡単に越える。ブレーキングをしつつ、25分で三島大社へ到着。安全を祈願、参拝の後、下田街道(国道138号線)を南下。単調な街道でであった。修善寺、午後4時。谷間故、薄暗く成りつつある。修善寺温泉街を抜け、本日の宿、民宿尾崎荘を目指すが、道に迷ったようである。100km近く走行すると、ランナーズハイ状態になるのか、ひたすら走り、止まって地図をチェックするのも面倒になる。大いに反省。GPSの装着を実感するところである。午後5時、件の
民宿尾崎荘に到着。周辺はすでに暗い。本日走行距離68.6km
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伊豆下田へ
11月21日(日)
尾崎荘は鮎の釣り宿で、狩野川に面す。鮎友釣り発祥地で、釣客が一人。主人が話し好きで自ら酒を持ち込み、ご機嫌で川釣談義を一頻り。
天城旧道を進む。未舗装なので,上りは歩いて押す。旧天城トンネルは紅葉見物で混んでいる。暫しイベント会場で地元ボラティアと歓談。ここで自転車のトラブル。ブレーキワイヤーが縺れて、前ブレーキがロックされている。ワイヤーを外したりと苦闘。はたと気がついた。 ハンドルが1回転しただけの事。
天城街道国道414号線を下る。同国道を下田まで下る予定が、間違って途中、国道14号線に進み河津に出た。ここからは三浦半島城ヶ島から見えなかった伊豆諸島、利島、新島が間近に見える。伊豆大島は大きく見える。相模湾を違った角度で見られる。今度はあすこへ行きたい。思いが膨らむ。下田へ向かう。下田に入り、暫し探訪。天気が下り坂に為りつつある。下田須崎で打診していた民宿を断って藤沢に帰ることにした。石廊崎、西伊豆松崎探訪はまた後日を期す。まだ3時なので温泉銭湯昭和湯に向かう。蓮台寺温泉より、原泉を引いているという。近くのスーパーで食材を購入し、下田港を望海浜公園へ。
夕暮れまで休息。6時前伊豆急下田駅へ移動。伊豆急伊東、JR熱海、小田原で乗り換え藤沢21時15分着 本日走行距離55.6km
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甲州街道へ
11月22日(火)
昨日は雨であったので、湘南台の図書館で終日甲州街道の下調べ。江戸(日本橋)から内藤新宿、八王子、甲府を経て信濃国の下諏訪宿で中山道と合流するまで38の宿場が置かれた。司馬遼太郎の街道を行くシリーズに甲州街道の興味ある記述がある。
11時小田急、登戸駅で自転車を組み立て、多摩川サイクリングロードを北上。調布より甲州街道(国道20号線)を西進。八王子を過ぎ高尾を通過。高尾は紅葉の名所で大混雑。又東京_糸魚川ファストラン292kmの始点でもある。相模湖、大月を通過したあたりから、小雨が降り出した。コンビニで雨宿り。周囲が暗くなるし、止みそうにないので、雨具を装着、出発。上り坂が延々と続く。笹子トンネル(新笹子隧道2,953m)にさしかかる。大きなトンネルであるが、大型トラックが通過するときは大いに危険を感ずる。
長いトンネルであった。笹子トンネルを抜けると甲府市内の夜景が飛び込んでくる。呉の夜景よりスケールを大きくしたよう。感動。いつしか雨は止んでいたが、下りがとても寒い。本日の宿を思案していたところ24時間営業のスーパー銭湯を目にした。これは有り難い。近くの居酒屋で飲食後、投宿。快適だ。 本日走行距離118.7km
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11月23日(水)
午前中、甲府市内を探訪。午後太平洋湾岸に向かって身延道(国道52号泉)を下る。身延で宿坊に宿泊するべく身延の町役場で2,3調べたが、午後4時を回っており、急な宿泊は対処できない由。駿河湾沿いのJR興津(おきつ)駅に向かって南下。アップダウンを繰り返し、午後7時過ぎ興津駅到着。夜間国道52号泉は暗く、荒れた道路が多々あり、車の往来も疎ら。穴ぼこでもあると大転倒しかねない怖い道であった。自転車の収納が手間取り、東京直通便を逃したため、熱海、小田原で乗り継ぎ、22時17分藤沢着
本日走行距離110.8km
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T.Takagaki
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